退職合意書は、退職勧奨によって社員をやめさせるとき、企業側のリスクを減らす重大な効果があります。
社員に能力不足や勤怠不良、指示違反などの問題点があっても、すぐ解雇するのはリスクが高いです。
このとき、自主的に退職するよう勧め、合意による退職をしてもらうのが最も円満。
退職勧奨の結果として、問題社員にやめてもらうときには、退職合意書にサインしてもらわなければなりません。
合意によって退職してもらったにもかかわらず、その後に、さらに元社員から労使トラブルを起こされてしまわないよう、トラブル回避のために有効な、退職合意書の書き方を知っておく必要があります。
今回の解説では、退職合意書の書き方と、社員に拒否されたり争われたりしないよう、進め方の注意点を、企業の労働問題に詳しい弁護士が解説します。
- 問題社員にやめてもらうとき、会社のリスク軽減のため退職合意書が有効
- 退職合意書の条項では、守秘義務・口外禁止・清算条項がとても重要
- 無効となるおそれのある解雇を撤回して退職してもらうとき、退職合意書が必須
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退職合意書とは
退職合意書とは、会社と社員が合意して退職するときに交わす、退職に関する一切の約束ごとを定めた書面です。
退職勧奨に応じて退職するタイミングなどで、よく退職合意書が活用されます。
退職に関する約束ごととは、「退職前」つまり在職時の法律関係の清算と、「退職後」つまり辞めた後のルールの両面の役割を意味します。
問題社員をこれ以上は雇っておけないと判断するときも、すぐ解雇するのではなく、まずは「合意退職できないか」とはたらきかけをする必要があります。
この働きかけが「退職勧奨」です。
退職勧奨ということは、少なくとも、その社員には辞めてほしいことを意味しますが、逆に社員からすれば、将来の収入を閉ざされますから、不平不満が生じ、会社と争いたいと思う気持ちはよく理解できるでしょう。
このとき、退職時の約束ごとをしっかり定め、労使トラブルをリスクヘッジし、会社を守るためには退職合意書が有効です。
少しでも紛争化してしまう危険があるならば、退職合意書を取得しておくのが安全です。
退職合意書の効力
退職合意書は、適切な条項を記載し、会社と社員のそれぞれの署名・押印があれば有効です。
この場合、基本的には、退職合意書に書かれたとおりの法的効力が生じます。
社員が会社を辞める方法には、社員からの一方的解約である「辞職」、会社からの一方的解約である「解雇」と、労使の合意による解約である「合意退職」の3種類があります。
退職合意書は、このうち、合意退職を確認するという効力があります。
退職合意書を結ぶことは、労働基準法をはじめとした法律に義務付けられたものではありませんが、社員の退職にともなうトラブルを減らし、会社のリスクを減らすために締結すべきものです。
退職合意書と退職届の違い
退職合意書と似た書面に、「退職届」があります。
退職届は、社員側から「会社を辞める」という一方的な意思を示すものであるのに対して、退職合意書は、社員側からの退職の意思と、それに対する会社側の承諾の意思があることの双方を示す証拠となるという違いがあります。
社員が辞めたいと申し出てきたとき、トラブル化するおそれがまったくないならば、退職届を受け取っておくだけで足りるケースもあります。
しかし、労使トラブルは、どこに潜んでいるかわからないもの。
「会社から無理やり辞めさせられた」といわれて不当解雇問題に発展したり、未払い残業代請求、セクハラ・パワハラの慰謝料請求など、予想外の請求を受けてしまうケースもあります。
退職届だけで済ませてしまうと、いざ将来に労使トラブルが現実化したとき、追加の請求を受けてしまう危険が高まります。
なお、会社は、社員から求められたら退職証明書を出す必要があります。
退職証明書は、退職の事実やその理由を記す書類で、退職を合意したことを示す退職合意書とは、役割や効果が異なります。
退職合意書が必要となる理由
次に、退職合意書を作っておくべき、必要性、理由について、4点に分けて解説します。
退職合意書は、社員に退職の意思があり、それに対して会社が応じたことの証拠となります。
「会社を辞める」という重大な合意が、口頭のみでされていると会社側が主張しても、その主張は、証拠なしには裁判所では認めてもらえません。
不当解雇のリスクが排除できる
問題社員だからといってすぐに解雇してしまうと、企業側にとって大きなリスクです。
というのも、日本の労使ルールでは「解雇権濫用法理」という決まりがあり、「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」には、その解雇は権利濫用として、無効となってしまうからです(労働契約法16条)。
このとき、解雇権濫用法理に違反する解雇は、「不当解雇」とされ無効となります。
裁判所で、解雇が無効だと判断されてしまえば、問題社員であるにもかかわらず雇用を継続しなければならなかったり、退職してもらえたとしても多額の解決金を払わなければならなかったりといったダメージを会社が負うことになります。
そして、解雇とは、口頭で「クビだ」と告げたという典型的ケースだけでなく、社員が辞めざるを得ない状況になっていたのであれば、実質的には解雇だと評価される可能性があります。
退職合意書によって、合意による退職だったことを確認しておけば、解雇と評価されるリスクはなくなります。
不当解雇を主張して争われたとき、解決金の相場や減額方法は、次の解説もご参照ください。
合意退職後の労使トラブルを防げる
「清算条項」付きの退職合意書を結べば、合意退職した後になって元社員が追加の金銭請求をしてくるといった労使トラブルを防げる効果があります。
会社を退職した後で、金銭請求する元社員のケースはよくトラブルになります。
退職後に請求される金銭は、未払い賃金、残業代、退職金、セクハラ・パワハラの慰謝料など。
会社としてはきちんと法令遵守(コンプライアンス)を守っているつもりでも、労働者側からは文句のつけどころがあるかもしれません。
退職するまでは、人間関係や気まずさから我慢していた不平不満が、退職後に爆発する例も多いもの。
このとき、元社員から労働審判、訴訟などで争われてしまうことを、退職合意書によって防御できます。
元社員から内容証明を送られたときの正しい対応は、次の解説をご覧ください。
企業の秘密を守れる
退職合意書を交わし、そのなかに守秘義務条項や、口外禁止条項、誹謗中傷の禁止を書いておくことは、企業の秘密やノウハウを守れるという効果があります。
退職にともなって解決金などの金銭を支払ったとき、他の社員に言いふらされてしまえば、公平感を損なってしまいますから、合意書の内容は、絶対に秘密を守ってもらわなければなりません。
また、退職後に、会社の誹謗中傷をする元社員がいます。
退職合意書を書くべきような問題社員のケースほど、会社に文句が多く、退職したらインターネット上で「ブラック企業だった」と悪口を言われてしまう事例は少なくありません。
労働者側にとっても、会社が不利益な情報発信をしないと約束してあげれば、転職などを考えれば安心感もありますから、誹謗中傷せず、秘密を守るという条項を双方向的に合意しておく必要性は大きいです。
退職後の秘密保持が特に重要だと理解してもらうには、退職時の秘密保持誓約書が有効です。
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退職届の撤回を防げる
有効な退職届をきちんと作成しておくことで、退職届の撤回を防ぐ効果があります。
早く辞めてほしい問題社員ほど、次の転職先が決まらないケースも多いもの。
一旦は退職に同意したり、自ら退職届を出してきていても、その後に、「退職は会社に無理やり強要されたものであり無効だ」、「退職ではなく解雇だ」、「退職強要であり、取り消したい」などと要求されるケースもあります。
以上のように主張し、元社員が復職しようと企んだときも、退職合意書で「合意により退職した」ことが労使間の確認事項となっていれば、自由な意思によって合意で退職したことを証明できます。
つまり、退職合意書を証拠として、元社員の復職を拒否することができるのです。
退職合意書により、社員に退職の意思があること、それを会社が承諾したことが客観的に示せるからです。
退職合意書がなければ、社員の意思によって退職をしたのか、それとも、会社が無理やり強要し、不本意にも退職セざるを得ない状況に追い込んだのかが、わからなくなってしまいます。
そして、後者であれば、それは「退職勧奨」ではなく「退職強要」であり、違法な「不当解雇」と評価される危険があります。
退職合意書の書き方【テンプレート付】
退職合意書の条項について、よくあるひな形を、テンプレート付きで解説します。
ひな形に即して、各条項ごとの注意点についてもあわせてご紹介します。
(なお、以下のひな形では、会社を「甲」、退職する社員を「乙」とします。)
注意点として、複雑な条項にしすぎると、すぐにサインしてもらえなかったり、疑問・不安を抱いた社員が弁護士に駆け込んでトラブルが拡大したりするおそれが強くなります。
必要な項目を盛り込んだ上で、できるだけシンプルな退職合意書とするよう心がけてください。
第1条丨合意退職の確認
甲と乙とは、甲乙間の労働契約を、20XX年XX月XX日付で合意解約した。
まず、退職合意書において最も大切なのが、退職の合意に至ったことの確認を明らかにする点です。
争いを残さないよう、退職日を明確に特定して、「合意解約した」と書くのがポイントです。
この条項によって、退職が、社員の自由な意思によるものだと示し、会社の一方的な解雇ではないと確認できます。
あわせて、社員の退職の意思表示を会社が承諾したと示せるため、退職合意書を締結した後に退職を撤回されてしまう事態も防げます。
第2条丨離職理由
前条の退職は、会社都合の離職として扱う。
退職合意書では、離職理由を明らかにしておくことが大切です。
あわせて、退職時に交付する離職票にも、退職合意書で定めたのと同じ離職理由を記載します。
離職理由が、自己都合退職だと、失業保険に3ヶ月の給付制限期間が付されるほか、支給期間も会社都合退職に比べて少なくなってしまうため、労働者側は、離職理由について大きなこだわりを見せることが多いです。
会社の退職勧奨に応じて退職したときには、離職理由は会社都合となるため、トラブルを避けるためにその点をあわせて確認しておきます。
一方で、「転職活動に悪影響があるのでは」と心配する社員が、自己都合とするよう希望することもあります。
このときは、自己都合として扱ってあげることに企業側のデメリットは特にないため、「自己都合の離職として扱う」と定めるようにしてください。
なお、懲戒事由のあるケースなど、社員側の非が明らかなとき、自己都合退職とすべきケースもありますが、それでもなお、会社のはたらきかけによって退職に至ったときは、会社都合と評価される例が多いです。
第3条丨退職日までの出勤の要否
乙の最終出社日は20XX年XX月XX日とし、乙は同日まで、甲の指示にしたがって後任者に対する業務引き継ぎを行う。甲は、乙が同年XX月XX日から退職日までの間、有給休暇を取得することを承認する。
退職合意書では、退職日が特定され、その退職日まで、社員がどのように過ごすべきかについても約束しておきます。
このことは、会社側にとっては、退職する社員に最後まできちんと引き継ぎをしてもらえるようにするメリットがあり、社員側にとっても、最終出社日を確実なものにし、それ以降の有給休暇の取得を確実なものにするメリットがあります。
問題社員が、トラブルの末に退職するケースでは、これ以上の社内の混乱を防止するために、有給休暇が残っていなくても、就労を免除するという例もあります。
この場合でも、雇用契約書にしたがって、給与は支払う義務があります。
第4条丨退職時の金銭交付
甲は乙に対し、解決金としてXXX万円を支払う。
同金員は、20XX年XX月XX日限り、必要な源泉徴収を行った上で、乙の給与口座宛に振込送金する方法により支払う(振込手数料は甲負担とする)。
労使トラブルの結果として、社員が合意退職する際には、トラブルを回避するために、解決金名目で会社が金銭を支払うケースが少なくありません。
このとき、解決金の支払いにより、紛争を終局的に解決するためにも、金銭交付に関する条項は必ず定めておきます。
解雇をすると「不当解雇」となってしまうケースでも、社員が同意するなら退職してもらえます。
そのため、退職の合意と引き換えに、一定の金銭を支給することには、企業側にもメリットあり。
このとき、労使どちらに非があるのか、その責任を曖昧にしてトラブルを避けるためにも、支出の名目は「解決金」とすることが多いです。
(明らかに会社に非があるとき「慰謝料」とするケースや、「退職金」とするケースもあります)
退職金として支払えば、勤続年数20年以下の社員について、原則として「勤続年数×40万円」までは所得税がかからないという控除を受けられること、解決金として支払ったとき、その実質が慰謝料名目だと評価できるときは非課税となることを理解しておいてください。
これに対し、実質が給与と評価できるときは課税されるため、源泉徴収を要します。
このとき、社員の理解を得ておかなければトラブルのもととなるため、源泉徴収をした後の金額が交付されることを、退職合意書に明記しておいてください。
第5条丨私物・貸与品の扱い
乙は甲に対し、業務上貸与を受けていた制服、モバイル端末、カードキー、社員証を、20XX年XX月XX日限り、甲本社に郵送する方法により返却する。
乙は、甲の施設内にある乙の私物を、20XX年XX月XX日限り、持ち帰るものとし、同日以降に残置された物品の所有権を放棄し、処分に異議を述べない。
会社が、業務上必要なものを社員に貸与しているときは、返却を求めます。
業務上の情報が記録されたノートパソコンやスマートフォン、カードキーなどの返却が受けられないとセキュリティ上も大きな問題となるため、期限を定め、きちんと管理してください。
また、退職時に社員の私物が会社に残されていると、その処分がトラブルのもととなります。
「会社が勝手に処分した」という反論を受けてしまわないよう、私物の持ち帰りには期限を設定し、期限後に残されていたものについては会社が処分できるようにしておきます。
会社の施設内といえど、デスクの引き出しやロッカーには一定のプライバシーがあり、配慮が必要です。
第6条丨守秘義務
乙は、在職中に知り得た甲の営業上、財務上、人事上、その他一切の業務上の秘密について、退職後に使用せず、また、第三者に開示、漏洩しない。
社員は、会社で働くにあたり、さまざまな企業秘密に触れます。
役員や管理職など、役職が上になるほど、重大な企業秘密、顧客情報やノウハウを知ってしまい、退職後に悪用される危険があります。
退職合意書に守秘義務条項を定め、会社のあらゆる秘密を、退職後に漏らさないよう約束しておいてください。
ただ、会社の秘密はとても大切であり、ひとたび外部に漏れてしまったら取り返しのつかないものもあります。
そのため、秘密の保持については、入社時の誓約書、就業規則、役職就任時や退職時の秘密保持誓約書など、重要なタイミングでは何度も約束を取り付けておくのが大切です。
なお、秘密を保持するようさらに強くはたらきかけるために、「競業避止義務条項」を定める例もあります。
競業避止義務条項とは、場所的範囲、時間的範囲や業種を特定して、一定の範囲で、退職後も競業につくことを禁止すると定める条項ですが、労働者の権利である「職業選択の自由」を制限するため、認められる範囲は限定的です。
第7条丨口外禁止、誹謗中傷の禁止
甲及び乙は、本合意書の内容及び合意に至った経緯について、第三者に開示、漏洩しない。
甲及び乙は、互いに相手を誹謗中傷する行為をしない。
退職合意書に、口外禁止条項を入れておくことにより、合意書の内容が、社外の取引先はもちろんのこと、社内の他の社員にも漏れないよう配慮しておいてください。
労働問題があることが広まってしまえば、会社の社会的評価が下がり、信用が低下するおそれも。
あらぬ誹謗中傷を受けてしまえば、企業経営にとって大きなダメージとなります。
また、退職者が、匿名掲示板やSNS、転職サイトなどで、自社の悪口を書いていないかどうか、退職前にチェックするようにしてください。
インターネットの普及により、匿名掲示板やSNSなどで、誹謗中傷を受けてしまう例は跡を絶ちません。
ネット上の評判はコピペや拡散が早く、削除請求するにも費用がかかりますから、速やかな対処が必要です。
第8条丨清算条項
甲及び乙は、甲乙間に、本合意書に定めるほか、一切の債権債務のないことを相互に確認する。
退職合意書の最後に、この合意によってすべての労働問題を解決しておくため、清算条項を書いておきます。
清算条項があれば、その合意後には、一切の請求を受けることはありません。
なお、清算条項があっても、その退職合意書を交わした後の事情や、退職合意書を交わした時点では明らかになっていなかったことについては、互いに請求権を失いません。
そのため、その時点で明らかになっていなかった残業代(割増賃金)を請求されるおそれはありますから、退職合意書を交わしただけで安心せず、きちんと対策を練っておかなければなりません。
退職合意書を拒否されたときの対応
以上の解説のとおり、退職合意書の効果ないし必要性は、基本的に「会社のため」という部分が大きいです。
そのため、退職には事実上合意していても、社員側から、退職合意書へのサインを拒否されてしまうこともあります。
社員が拒否したにもかかわらず、退職合意書を書くよう強くプレッシャーをかけてしまうと、後から「会社に無理やり強要され、退職合意書にサインしてしまった」といわれ、せっかく作った退職合意書が無効と判断されるおそれもあります。
このとき、退職合意書を書いたときの社員の意思表示に瑕疵があるとき、取り消し可能です。
例えば、脅して書かされたものであれば強迫(民法96条1項)、だまして書かされたものであれば詐欺(96条1項)、内容について誤認があれば錯誤(民法95条)により、取り消し可能となります。
つまり、後にトラブルとなり、労働審判や訴訟などで、退職合意書を取り消され、勤務の継続を主張されてしまいます。
したがって、退職合意書を拒否されたからといって、強くプレッシャーをかけるのは控えてください。
会社の利益のためにも、なんとか退職合意書を締結してほしいところですが、そのためには、社員に対してプレッシャーをかけたり不利益を与えたりするのではなく、逆に、社員に利益を与え、退職合意書を結ぶメリットを与えることで交渉を進めるのがよいでしょう。
つまり「アメとムチ」のうち、「ムチ」ではなく「アメ」で交渉するのです。
例えば、先程解説したうち「退職時の金銭交付」を申し出て、少し多めの解決金を払うなどの譲歩をすることと引き換えに、退職合意書を書いてもらうという手段があります。
会社側としても、金銭を支払うからにはきちんと証拠を残しておく必要がありますから、そのための催促であれば合理性があり、適切です。
なお、すでに有給消化に入っているときなど、退職合意書を社員に送付しても、サインしてもらえず返送もされず、無視されている状況のときには、再度連絡し、催促する程度のプレッシャーをかけることは許されます。
退職合意書の違反があったら損害賠償を請求する
一旦は退職合意書を結んで退職したにもかかわらず、その後に合意書に違反する元社員もいます。
例えば、守秘義務条項に違反して企業秘密を漏らしたり、口外禁止条項に違反して合意書の内容を他の社員に話したりといった例で、問題となります。
さらに悪質なケースには、会社の誹謗中傷をインターネットの転職サイトに書き込んだり、「会社の業績が危ない」などと嘘をついて他の社員を引き抜いたり、競業他社に企業秘密をもらしてしまったり、取引先に会社の悪口をいって取引を台無しにしてしまったりといった重大問題も。
このように、退職合意書への違反が悪質な元社員には、会社としても徹底して糾弾する必要があります。
違反を放置しておいては、まだ社内で働いている社員に対しても、しめしがつかず、さらなるルール違反を助長してしまうことにもなります。
具体的には、退職合意書への違反を理由として、損害賠償を請求する方法で、責任追及します。
元社員の行為に違法性があり、かつ、これによって会社の権利が侵害され、損害が生じたときには、不法行為(民法709条)を理由とした損害賠償請求ができます。
また、重要な役職についていたなど、退職合意書に違反した情報漏えいなどをしたときに、大きな損失が予想できるときには、退職合意書に、違約金の定めをしておくことも検討されます。
なお、退職合意書や、退職時の秘密保持誓約書などの締結を拒否されたとしても、就業規則に、秘密保持についての一般的な規定が置かれているとき、元社員の今後の情報の取扱いが、まったく自由に許されるわけではありません。
そのため、退職合意書にサインしてもらえなかったとしても、情報漏えいについては厳しく対応することができます。
退職合意書を作成するときの注意点
最後に、退職合意書を作成するときの注意点について解説します。
退職合意書は、あらゆる労働問題の解決で、労働者が退職をするときに作るべきとても重要な書類です。
そのため、以下で解説するように、労使間の対立が激化し、信頼関係が破壊されてしまった後に作られることも多いため、個別のケースにあわせた配慮が必要となります。
解雇を撤回して、合意退職するときの退職合意書
一旦は解雇をしたとしても、準備が不十分だと不当解雇と評価されてしまうおそれも。
労働審判や訴訟で争われ、不当解雇との判断を下される可能性のあるときは、一旦解雇を撤回して、合意退職とするケースもあります。
このように、労使紛争の結果として、解雇を撤回して合意退職するときというのは、一般的にいって、企業側にとって負け筋の事案であり、これ以上に損失が拡大してしまわないよう細心の注意が必要なケースです。
そのため、解雇を撤回して合意退職するという扱いのときは、必ず退職合意書を締結しなければなりません。
このときの退職合意書には、「○月○日付の解雇を撤回する」というように、解雇日を特定し、その解雇を撤回することを記載するのがポイントです。
あわせて、解決金を支払って金銭解決することが多いため、その金額や支払い期限についても定めます。
なお、一度した解雇を撤回し、合意退職とするときには、「退職日=解雇日」とするのが手続き上便利です。
退職日と、解雇日を同じ日にすれば、退職理由は「解雇→合意退職」と変更されてしまうものの、会社を辞める日は変わらないからです。
解雇を撤回した後の退職日について、「退職日=合意書作成日」とすると、撤回した解雇の日から合意書を作成した日までの扱い(就労の有無や給与の支払い義務)についても、退職合意書に定める必要があります。
役員が退任するときの退職合意書
「従業員兼務取締役」という用語があるように、役員としての地位と、社員の地位が併存することがあります。
社員と会社との関係が「雇用関係」であるのに対し、役員と会社との関係は「委任関係」です。
役員を兼ねている社員が退職するとき、退職合意書の作成でも、特別な配慮が必要です。
登記されている役員が、問題社員だったとき、退職とともに役員を退任してもらう必要があるわけですが、その際には、辞任届が必要となります。
そのため、退職合意書を書いてもらう際には、必ず、辞任届にもサインを求めておきます。
辞任届をもらえないと、法務局での退任の手続きが滞ってしまうからです。
なお、役員は、同時に株主であることもあります。
このとき、退職したとしても株主であり続けると、今後も会社経営に口出しされるなどのデメリットがあるため、株式を買い取らせてもらえるよう交渉が必要となります。
清算条項の範囲を明確にする
退職合意書に書くべき、清算条項の意味とは、サイン後には、労使互いに請求しあえなくなるということです。
これによって、社員から会社への賃金、残業代(割増賃金)などの請求ができなくなり、一方で、会社から社員への損害賠償請求などもできなくなります。
そのため、清算条項でなくなっては困る請求権があるなら、明記しなければなりません。
例えば、最終給与がまだ未払いの場合には、これを除くと定める必要があります。
その他にも多くの債権債務が残っている場合には、「本件についての債権債務」のみをなくすような清算条項の定め方とする例もあります。
なお、裁判例では、清算条項つきの退職合意書を交わしてもなお、その後に残業代(割増賃金)を請求するのを認めた例もあるため、注意が必要。
東京地裁令和3年9月10日では「原告と被告との間で、割増賃金等の支払請求権の有無やその額については、何ら触れられることがなかったのであるから、原告と被告の間において本件合意書7項をもって割増賃金等の支払請求権についても清算をする意思があったとも認め難い。」と示し、清算条項つきの退職合意書を締結した後にされた残業代請求を認めています。
まとめ
今回は、問題社員の退職時、会社側の立場では必ず作成しておくべきといえる、退職合意書について解説しました。
辞めてほしいと考えている問題社員に退職勧奨するとき、退職合意書は事前に作っておく必要があります。
すぐに署名・押印できる状態にして用意しておかなければ、サインを拒否される危険もあるもの。
清算条項をつけたり、秘密保持に配慮したりなど、細かい調整が必要となる難しい問題のため、社員が「退職する」という意思表示をしてきてから作っていては、不十分なものとなってしまいかねません。
今回解説した書式を参考にして、入念に準備しておいてください。
当事務所のサポート
弁護士法人浅野総合法律事務所では、多数の企業から、会社側の労働問題についてのご相談をいただいています。
「問題社員を辞めさせたい」というご相談に対しては、退職合意書の作成はもちろんのこと、その前提となる退職勧奨のやり方についても、詳しくアドバイスすることができます。
退職合意書のよくある質問
- 退職合意書を交わす会社側のメリットはどんなものですか?
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退職合意書を交わすのは、労働問題を終局的に解決し、退職した社員からの追加の請求を許さないこと、企業秘密を守り、会社の価値を下げないこと、労働問題が発覚し、全社的に波及するのを防止することといった企業側のメリットがあります。もっと詳しく知りたい方は「退職合意書が必要となる理由」をご覧ください。
- 解雇を撤回して合意退職とするとき、退職合意書の注意点は?
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不当解雇のおそれがあると明らかになると、解雇を撤回し、合意退職とするかわりに解決金を払う、いわゆる「金銭解決」となることがあります。このとき、解雇日を特定して解雇の撤回をし、同日を退職日とするのが最も簡便です。詳しくは「解雇を撤回して、合意退職するときの退職合意書」をご覧ください。